明治以前の書物(字)を読める人がいない。
活字になっているものは1%程度。
今では研究者でさえ読めない、誰も読めない言語は言語として死んでいる、
つまり残りの99%はゴミとして消えてしまうと中野さんは嘆いています。
これまでに何度か起こった江戸ブームは近代と似た所を探して面白がる傾向があったが
3.11以降は中野さんの50年の研究者生活の中で初めてこれまでとは違う捉え方をされていると感じているそうだ。
あまりにも急ぎすぎた近代の歪みを是正する何かが江戸にはあるのではないかと。
江戸を理解するためには文字しかないわけだが活字化された物はほんの僅か。
自分の力で読めなくなった原因のひとつに明治33年の小学校令で一音一字制を進めたこともある。
リテラシーが上がった結果として皮肉にも近代以前の言語を捨ててしまったのだ。
私達が接する江戸と言えば西鶴、近松、芭蕉、一茶、北斎、広重…
彼らは今でいえばサブカルチャーの人。
では対するメインカルチャー、ハイカルチャーとは何か。
和歌、漢詩、仏教や儒教。
サブカルチャーはメインカルチャーのパロディーなので
ベースとなるメインカルチャーがしっかりしていなければこれだけ豊潤なサブカルは生まれない。
そして最も大切なことは、近松、芭蕉などの限られた有名人だけでなく
日常の普通の人たちが書き残した中、普通の生活の中にも本当の江戸らしさがあるということ。
近代以前の豊富な文化が日の目を見ずに消えて行ってしまう事に
中野さんは悔しくて悔しくて、こうやって講演を続けて(嫌われながらもと言われてました)いらっしゃいました。
他に誰もできないから自分がやっているのだと。
そしてできれば子供達に小さい頃から触れる機会を与えたいと。
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