
(旧西鉄香椎駅と工事中の新駅)
小説には桜の木は出てこないのですが、ゆかりの駅に古くからある桜ということで
大切にされてきました。
このあたりは大規模な区画整理事業が進められ
旧駅舎の解体と合わせて桜も伐採される予定でしたが、
それを知った市民が駅舎はなくなってもせめて桜だけはと嘆願し
一本の桜の老木だけは生き残ることになったのです。
この桜、私が子供の頃から見慣れた風景の一部になっていたのですが
残念ながら風情ある駅舎の写真は撮っていませんでした。

(旧西鉄香椎駅)
このことで思い出したのが、福岡市民には有名な「桧原(ひばる)桜」の話です。
もう20年以上前のこと、
福岡市南部の桧原で、道路拡幅工事で伐採されることになった開花前の桜の木に
心を痛めた市民が1首の短歌を吊るしました。
「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え」
これが新聞で報道されるがいなや、桜を惜しむ市民の短歌が次々と桜の枝に吊るされ、
その中に混じって当時の福岡市長の返歌もありました。
「桜花惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は」
結局、最初の計画は変更、道路は蛇行して作られ桜は残されることになったのです。
どちらの件も、もう役所で決まったことだからと工事を無理矢理にでも押し通すこともできたはず。
それを情で動かすことができた・動かされたというのはなかなかないことです。
桜の木に特別な力が宿っているのか、
あるいは私達が桜の木を想う時に起こる不思議な力を感じずにはいられません。
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