もう! 雑草ってどうしてこうも生命力が強いのでしょう。
これからしばらくは、しぶとい雑草とのいたちごっこが続きます。
『いちばん高級の芝生の種から、どうしてこんなふさふさした、棘だらけの雑草がはえてくるのか。立派な芝生が欲しいと思ったら、いっそのこと雑草の種をまくべきかもしれぬ。』 (園芸家12カ月より)
呆れるほどの手間をかけバラを育てていることで近所でも有名な友人の
「間違っても私は園芸が好きなんじゃない!
バラを見たいから仕方なくやってるだけで本当は嫌いなの!」
ということばに矛盾は感じません。
園芸家は園芸そのものが好きなのではなく、
花や整った庭を眺めるために、次から次へ出てくる仕事をやらざるをえないだけ、
ということがこの本を読めば理解できると思います。
と同時に、いっときも気を抜けない園芸家に対する同情も湧いてきます。
園芸家は毎月毎月どういう風に気を揉むのか。
一月の乾燥した猛烈な寒さの中(チャペックはチェコの人)では
『アザレア・ポンチカよ、おまえには私のワイシャツをぬいでやろう。アメリカツボサンゴよ、おまえには私の帽子をかぶせよう。それからコレオプシス、お前に残っているものは、もう、靴下きりだ。感謝して受け取ってくれ。』
二月には堆肥をすき込み土壌を改良し種の準備をし、
三月には防寒を取り追肥を入れ除草をし、種をまき、挿し木をし、
四月にはさらに耕し、植え替えをし
こうして息つく暇もないくらい忙しい園芸家の一年が繰り返されます。
家を訪ねてきた知人には必ず自慢の庭を見てもらう園芸家。
『「こいつはかわいらしい、このリラの花は」と素人が言う。すると、園芸家は少しむっとして答える。「これはペトロカリス・ピレナイカですよ」』
ふむ。名称のない花は雑草なんだそうだ。
この本を読んだ後には、園芸家の顔に今まで見えなかった
苦労と満足の印を見ることができるかもしれません。
例のバラ栽培の友人に「この本を知ってる?」と聞くと
「当たり前じゃない。あれはバイブルよ。」と
何を当然なことを聞くのとばかりに返されました。
庭いじりが好きな方、本を読みながらきっと何度もうなずくことでしょう。

挿絵もユーモアがあって素敵なのです。
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