Somewhere Anywhere
日々の雑感を写真と共に
75/100 
2007/10/18 Thu. 09:12 [edit]

数年前は文章を書くことが楽しくてしょうがなかった。
書いては寝せ、書いては寝せ、味噌が発酵するのを待つように
というのは小説家の仕事だけれど、
朝つけた漬物が夕方しんなりするくらいの
言葉が馴染む時間を楽しむことができた。
キーボードは単に文字を文章へと変換するだけではなく
脳から取り出した音節とイメージをモニターに投影する便利なツールでもありました。
それがある時期からできなくなってしまった。
必要がなくなったこともあるし、発酵を促す条件も消えてしまったからかもしれない。
その代役を務めているのがレンズだとは言いきれないし
字そのものを書くことに興味が移ったことも関係あるのかもしれません。
結局、100を何:何:何でアウトプットするかということなのだろうな。
category: 雑記
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大急ぎでやってきた・秋 »
コメント
現在 仕事においても正書するときはほとんどパソコンからのアウトプットになってしまいましたよね。 便利でいいですけど。
でも絵であれ文章であれ考えをまとめるときはいまでもぼくは手書きです! 手書きでないと脳の迅速な動きについていかないし、結局人間は手を動かすことでいろいろ脳に刺激がいき考えがふかまるんだと思います! キーボードワークじゃそういかないのが不思議ですけどやっぱ閃きは産まれないと思います。 確信できるのはキーボードワークは時代の流れでなくなるものだと思うし手書き永遠になくならいことだと思います。
手書きすることはもっと人間らしいベーシックな行動の一種類だし素晴らしいことですよね。
なな #- | URL
2007/10/19 21:37 | edit
ななさん、
キーボードを叩く時と手書きの時とは脳の使われている部分が違うような気がしています。
今でも手書きだというななさんは、文字も絵や音楽と近いフィールドにあるのでしょうね。
この間若いグラフィックアーティストの方と話をしたのですが、
彼女は手書きの絵をスキャンしてデジカメ写真を重ね合わせ、更に加工して作品を作っていました。
どこから見てもデジタルアートだけども、手書きが好きなので元の絵は必ず筆を使うのだと。
最新のゲームでも元は手書きだし、言われるようにアナログな作業はなくならないと私も思いますよ。
weavee #3un.pJ2M | URL
2007/10/20 09:05 | edit
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