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Somewhere Anywhere

日々の雑感を写真と共に

行ってくるね  

それが母にかけた最後の言葉になった。

いつも仕事に出かける前は忙しく声をかけるだけなのだが
その日は数週間前から何の反応もなくなった母の顔を撫でて
「じゃあ、行ってくるね」と言って出た。
もちろん母からの返事はなかった。

夜中に何度も起きて様子を見て必要な処置をし、
明るくなる頃にもひと仕事。
ひと通りやった後、ヘルパーさんにバトンタッチしてばたばたと出かけていた。

今週、忌引き明け最初の出勤日の朝、いつものように早目に目を覚ました。
でももう何もしなくていい。
朝から吐しゃ物の処理をしたり、膿と血液の混じったおむつを取り換えたり、
硬直した足をマッサージしたり、体や顔を拭いて目薬を点したり、
薬を飲ませたり、吸入したり、注射器で吸引したり、
そんなことはもう何もしなくてよくなった。

仕事が終わるとどこにも寄らず急いで家に帰ってまた朝の続きをし、
手を離せなくて食事どころかトイレに行く間もない頃もあった。
訪問看護もヘルパーさんも休みの土日祝日は、殆ど一日中、家にこもっていた。
額に手を当てれば体温を当てることができるようになった。
高熱が出たり痙攣を起したり意識が飛んでも冷静に対処できるようになった。
でもそれももうする必要がない。

入院して家にいない時と同じだと思おうとしても
病院にももう行く必要はない。

もう何もしなくていいということにも
数週間、数か月経てば慣れるのだろうか。


10月3日、母が他界しました。
奇しくも父と同じ月でした。

末期癌が見つかったのが2年前の3月。
2度の入院手術のあと、今年6月に自宅に引き取りしばらく家で看ることにしました。
先月、私の方が精神的にも体力的にも限界にきて
6月に退院する時から最優先でベットを予約してくれていた
緩和ケア病棟がある病院に入院のお願いしたのですが、
最初は行っていいと言った母がやっぱり家がいいというのです。
これで3回もベッド空きを断ることになったので、
自宅で看取る覚悟はできていました。

退院時、大学病院の先生も、そのあとお世話になった在宅診療の先生も
ここまで長く頑張れるとは思ってらっしゃらなかったようです。
自宅だったからじゃないかと言われました。

写真は2013年10日4日に九重に行った時のものです。
ちょうど一年前に撮った写真を遺影に使いました。

20131004.jpg

在宅介護・医療については色々なことを考えさせられました。
大学病院退院前に、私も含め、関係機関、専門員が10人以上集まったカンファレンスが行われました。
この先どうなるのか不安だった私に大学病院の主治医は
緩和ケアの地域チームはみんな知り合いだし、
(つまり、まだそれほどたくさんの病院や人がいない)
情報交換しているし、連絡取り合っているから大丈夫だよと言って下さいました。
確かにそれは実感できましたが、きっと九州の中では恵まれた地域だからだろうと思います。

私が住んでいる福岡市東区ではこういう取り組みがあるようです。参考までに。
福岡東在宅ケアネットワーク

category: 雑記

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コメント

「お母様のご逝去、お悔やみを申し上げます」
一編の言葉では何もならない事はわかっていますが…お察し致します
今後、お母様は「思い出と言う形」で支えてくれると思います!
お疲れならない様、ご自愛下さい


leica-egoiste #- | URL
2014/10/19 08:20 | edit

leica-egoisteさん、お気遣いありがとうございます。
誰でもいつか通る道と誰でもが言いますが
そのいつかが少しばかり早かったように思われます。
両親共失うことで、これでやっと子供卒業とは皮肉なものですね。

naomi #3un.pJ2M | URL
2014/10/21 22:52 | edit

最後までなおみさんと一緒で、お母様も良かったですね。大変だったとおもいますが、これからはご自分の時間を楽しまれてください。

さと #tQ725RIE | URL
2014/10/22 23:27 | edit

さとさん、ご無沙汰しております。ありがとうございます。
バタバタしない生活にも少しづつ慣れてきているようです。
しばらくお会いしてないですし、今度福岡に来られた時には
またみんなで集まりましょうね。

naomi #3un.pJ2M | URL
2014/10/23 19:08 | edit

ご冥福をお祈り申し上げます

naoさん、お母様の安らかな眠りを心からお祈り申し上げます。
各都道府県がそれぞれの<地域包括ケアシステム>なるものに真剣に取り組まなければならない時代がやってきています。
在宅介護は国民ひとりひとりの問題。
naoさん、本当に大変だったと思います。よく頑張られたと思います。
家で看取る事が どんなことか。
他の何にも例えようのない感情、想い、ご察し申し上げます。

私の父は、<ああ、やっとわかった、生きるということが何なのか>と言葉を残し、
何かふっきれたように永眠しました。

<行ってくるね> 、
胸にわっと込み上げてくるものがあります。

naoさん、どうかご自愛くださいますように。
どうぞゆっくりおやすみください。

akiyasu_sukiyasu #TJwWj8Lg | URL
2014/10/31 00:12 | edit

akiyasu-sukiyasuさん、色々ありがとうございます。
超高齢化社会への入口でさまよっている患者家族の姿は
景気の動向に沸く世の熱気の中ではともすればかすみがち。
私も含め、悲しいかな、所詮「情報」では分かっておらず、
身に降りかかってあっぷあっぷして初めて現実のものとなりました。
在宅が勧められている今、自宅で看取ることは珍しくないのかと思ったら
最後は病院に入るそうで、家で亡くなる人はまだ少ないらしいですね。
でも何人かの人から自分も最後は家で迎えたいと言うのを聞きました。
家族が何人かいたり近所に親戚がいれば役割分担もできるのでしょうが
私のように殆ど一人でこなさなければならない人も増えてくるでしょうから
そのあたりが難しい問題ですね。
費用や地域格差も気になります。

お父様の最後の言葉を聞けたakiyasuさんは幸せだと思います。
これまでを「生きて」こられて、次の代に託されたのですね。

結局、私の父も母も、最後のところはどうだったのか、分からないまま終わってしまったわけですが
(本当はまだ終わってませんが)
「家にいたい」という希望に沿えたことで親孝行できたかなと思ってます。

naomi #3un.pJ2M | URL
2014/11/02 00:32 | edit

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